はじめに

「先生って本当になんでも知っていますね。経営や会計に詳しいのは当然として、歴史とか哲学も詳しいんですね」

「いやいや、それほどでも」

「いやいや、本当に教養が高いってのは先生みたいな人を言うんですよ」

「いやいや(満更でもない)」

 そんな会話が繰り広げられたことはないでしょうか。私は自分で言うのも何ですが、物知りな方だと思います。そして、読者である多くの中小企業診断士のみなさんも物知りではないでしょうか。診断士資格は試験範囲そのものが幅広く多岐に渡ります。これだけ幅の広い資格試験って他にはないでしょう。公務員試験も幅は広いですが、奥行きでは診断士試験かと思います。そして、診断士資格を取られた方は知的好奇心が高い方が一般的には多いと思います。ですから、冒頭のようなやり取りが起きることもあるんでしょうね。

 ところで、教養ってなんでしょうか。物知りな人のことを教養があるというのでしょうか。

私の大学生時代は、2年生までは教養課程と呼ばれており、3年生からが専門課程でした。私は生物工学系の学部に在籍していましたが、確かに教養課程では、いろんな科目を学んだ思い出があります。経済学や心理学、哲学もありましたし、ドイツ語もありました。もちろん、物理や数学もありましたし、私の専攻につながる生物工学の授業もありました。今思うと、大学の専門課程が一番ブラックな働き方(学び方)をしていました。朝から夜中までよくあんなに実験に明け暮れていたものだと思います。辛く楽しかった専門課程での研究室生活として、鮮明に記憶に残っています。

 その一方で、専攻分野以外の学問の記憶はあまり残っていません。経済学は診断士試験で学び直したわけですが、ほとんど初見と感じながら勉強していました。はたして大学時代の教養課程で学んだことは教養だったのでしょうか。

◯教養とはリベラルアーツの日本語訳

 リベラルアーツとは、ギリシャ・ローマ時代からの概念で、算術、幾何、天文学、音楽、文法学、修辞学、論理学の7つの分野からなります。人を奴隷ではなく自由人にする7つの学問というのがもともとの意味合いです。では、現代に必要な科目は何になるでしょうか。

◯「教養」の定義

 教養とは何か知るために、「教養とは」といった、タイトルそのままの本を読むのは少しかっこ悪い気がします。教養が身についていない自分が、教養を身に付けているようなふりをするために、「答え」を探してノウハウ本を読んでいるような気持ちになりました。そこで、各章で述べる教養科目の前に、教養そのものを定義している本を5~6冊読んだ中から2冊取り挙げたいと思います。

『人生を面白くする 本物の教養』 幻冬舎新書 (2015/9/30)出口 治明著

教養とは、人生においてワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです。

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 本書を最初に読んだ際、知識は手段で、教養が目的、と言われると少し違和感がありました。ただ読み進めると、物知りで知識を持っている人が教養は高いのか?という命題への一つの答えになるかも、と感じました。教養とは面白く生きるための手段で、教養を身につけるための手段の一つが知識なのでしょう。教養を身につけるにはある程度の知識は必要だと思います。さらに知識を知っていることと、頭で考えて使うのは別物であり、自分の頭で考えられる力が教養なのだと。

 多くの情報があふれる中、インターネットによって調べ物は誰にでもすぐできるようになりました。その結果、多くの人がコンビニに行くかのように答えの情報にむらがってしまう、そしてわかったつもりになってしまっています。自分が知らないという状態を恐れるため、すぐに答えを求めてしまうわけです。この点について、出口氏は「ソクラテスの無知の知」が失われつつある、と指摘しています。自分が知らないことを知るというのは難しいものですね。

『僕は君たちに武器を配りたい』 講談社( 2011/9/22)瀧本 哲史著

一般的にビジネスでの『武器』は『英語、IT、会計』と言われますが、これらは『奴隷になるための武器』であり、不安解消マーケティングの産物でしかない。それよりも重要なのは自由になるための『リベラルアーツ(教養)』である。教養を武器に、コモディティにならない働き方を追求していかなければならない。

本書では武器というぶっそうなキーワードになっていますが、これからの先の見えない時代を生き抜いていくために必要なものは何かということを考えさせられます。AI時代に向かうにつれ、いろんなことを知っているというだけでは戦っていけないでしょう。必要なのは、生き抜くための武器。それが教養であると瀧本氏は指摘しています。コモディティにならないためにどんな力をつけるべきなのか自分の頭で考えることが必要と言えるでしょう。

 とはいえ、ある程度知識がないと考えられないのも事実。(前述の)出口氏は大学時代が学生運動まっさかりのため大学に行かず、1日14~15時間は本を読みふけるという幸せな時間を送っていたとのことです。私もそれなりに本を読んできましたが、診断士の受験中は受験関係の本しか読んでいないことに気づきました。そこで診断士と関係なく本を読みふけろうと200冊の本を読んだ年に、診断士試験に合格できました。もちろん本を読んだことと合格に因果関係があるかわかりませんが、2次試験に4年間落ちつづけた私の蒙を啓いてくれて合格に繋がり、教養が少しはついたのだと信じています。  今回の特集では、教養を高める書籍を紹介しながら、教養とは何かを考えていきたいと思います。

第1章 クリエイティブの教養~美的感覚を磨くことは診断士に役立つか!~

近年、AIや自動化技術の発展に伴いホワイトカラーの存在する意義が薄れていく中、クリエイティブティや自由(リベラル)という価値観が重要視されているように感じます。そのような時代背景のなか、この章では、私ども中小企業診断士と経営者にとってなぜ、美的感覚を磨くことは経営に役に立つか、そして、歴史や文学、哲学、美術という要素にてリベラルアーツを磨くことは、美的感覚を磨くことにつながるか、ということを考えます。

◯なぜ、教養という言葉に憧れを持つのだろう。

「教養」という言葉には、なぜか憧れをもちます。少しノスタルジックに感じてしまうこともあるかもしれません。昔なじみの喫茶店で、本を読みながらタバコをゆっくりと・・・「教養のある人」という言葉を聞くと、そんな情景が浮かんできます。

インターネットが普及しはじめた1990年代のはじめからでしょうか、世の中に供給される情報量は急激に増え始め、わからないことを速く調査して答えを出す、それを聡明な人の作業というのであれば以前よりも劇的に簡単にできるようになりました。教養という言葉に憧れを持つのは、私たちが「そんな生活では物足りないもっと、大切なものがあるはず!」と無意識に思っているからかもしれません。知識やそれらを少し論理的に整理して得られる結論。この結論を導き出す能力を教養といっているのであれば、AIで十分かもしれません、中小企業診断士や経営者に必要なものはもっと深い「リベラルアーツ」であると思います。

○社会人に必要なリベラルアーツとは

「リベラルアーツ」という言葉には知的でカッコいい響きがあります。「彼はリベラルアーツをシッカリ身につけている」などと言われると嬉しくなりますね。

海外のグローバル企業トップなどは「マネジメントの知識だけでなく、歴史や文学そして美術や哲学などの学位を持っている」なんてことがビジネス書などさりげなく書かれているのを見かけたりすることもあります。そのたびに、漠然と(!)「ああ、さすがグローバル企業」と思うのです。

「リベラルアーツ」という単語についてちょっと調べてみると「リベラル」とは、

“「自由人が修得するにふさわしい芸術や科学のための特別な形容語句。隷属的や機械的の反対の概念」(Oxford English Dictionary)”

とされています。

「隷属的の反対の概念」というのは一歩距離を置いた存在として企業を診る中小企業診断士にとって相応しい立ち位置だと思います。そして、「機械的の反対の概念」というのは、最近注目の「AI」とは一線を画する領域です。中小企業診断士とリベラルアーツは親和性が高そうです。

中小企業診断士として、そして社会人としてのリベラルアーツってなんなの?という素直な問いに対して、答えはそうそう簡単に1冊の本で分かるものではないと思います。その中で、「切り口」というか、「入り口」を説明してくれているのが麻生川静男氏のこちらの本です。

「社会人のリベラルアーツ」 (2015/9/15) 麻生川静男 著

「リベラルアーツ」なる領域を熱くグイグイと、それでいてコンパクトに説明してくれている本。本来はコンパクト化が難しいリベラルアーツの説明ですが、各地域の国家制度、文化の差異など社会人が「リベラルアーツ」を駆使しやすい様々な「切り口」と「入り口」を提示することで我々の理解を深めてくれます。

この本の中で麻生川氏は「物事を一歩引いた視点から深く診るために役立つのがリベラルアーツ」ということも言っています。

一歩引いた視点により深く診ることができる例としては歴史の考察があると思います。例えば、歴史の中で日本と同じように中国の影響を受けてきた韓国。地理的にも日本と近しい環境にありながら、近代化のステップは異なっています。その違いはなぜ発生したのでしょうか?

学校で習う歴史、現在の政治事情などでは十分に答えは分かりません。民族に承継されている哲学、過去から連綿と繋がっている社会構造などの多様な要因にたどり着けないからです。このような深い要因にたどり着くために求められる知識・教養がリベラルアーツ、ということのようです。

○歴史の定説ですら覆り始めている

リベラルアーツを深めていくことで、「多様な要因にたどり着く」ことが出来るでしょう。それだけで中小企業断士や、経営者は組織を正しい方向に導くことができるでしょうか?今までの常識や歴史の延長に未来が存在するのであれば、それだけでも十分に企業を正しい方向に導くことが出来ると思います。ディスラプト(disrupt)、ゲームチェンジ(game change)このような言葉がビジネス用語としてよく言われるようになりました。前者は、既存の業界や既存の枠組みを破壊するようなイノベーションやビジネスモデルの変化が起こっていることを言い。また、後者は新規事業にて既存のビジネスのゲームのやり方を変えるようなことを起こすことを言います。

変化の激しい時代ということを通り超してこんな時代になると、分析して「多様な要因にたどり着く」というだけでは力が及びません。もっと、根本的な原因や人間の本質のようなものにたどりつく必要があります。そしてその本質から、今起こっている変化にどのように対応するのかというアプローチが重要です。本質的な部分にたどり着くには単なる教育や教養では足りません。なぜならば、私たちが小学生や中学生の時に教科書で習ったことですら研究が進み変わっていってしまうからです。

今までの常識が変わっていくなか、歴史や最新の研究成果を常に学ぶ姿勢を持ち続ける必要があります。この作業は、リベラルアーツのある人にしか出来ない作業であると私は思います。そのように感じさせてくれた書籍が下記です。

「ゲノムが語る全人類史」アダム・ラザフォード 著 文藝春秋(2017/12/14)

骨を残さず絶滅した第四の人類がいた!そんなセンセーショナルな帯で驚いたかもしれません。内容はもっと驚くと思います。文字に残された「歴史」そして考古学ではわからなかった先史時代の人類の系統をゲノムの解析から暴き出します。そんな中で私たちが漠然と持っていた常識とは違う結論が次々と導かれています。

人類は1つのルーツがあり、現在の人類はそこから枝分かれして派生したもの。教科書にもそれに近いような図が記載されていたと思います。(少なくとも私の中学生のときは)枝分かれしていく中でネアンデルタール人は、現在のホモサピエンスとは別の種別なので交雑はできなかった。そしてあるいは何らかの原因で環境変化に耐えることができず絶滅してしまった。そんな理解をしていました。しかしこの本の中で述べられているのは、また全く違う結論です。4万年前のネアンデルタール人のDNAを分析した結果、ホモサピエンス(私たちの祖先)とネアンデルタール人は、何度も交配して子供をもうけています。それだけではなくて、ホモサピエンスは、デニソワ人。そしてもう1種類の未知の人類のDNAと交配しています。このもう1種は、DNAの解析の結果、かならず存在するはずですがまだ骨が見つかっていません。

このような、本質的な部分で今までの常識を覆すようなことを学んですぐにアップデートする努力を惜しまないのがリベラルアーツを持っている人であると思います。そしてこの姿勢は既存の枠組みにとらわれずに経営を行うために常にヒントを与えてくれると思います。

○神話やおとぎ話から何を学ぶか

前章で記載したような本質的な部分に加えて、昔から伝えられてきたことを学び少し視点を変えるだけでも経営に役にたつヒントが生まれることはないでしょうか。神話やおとぎ話を読みリベラルアーツを高めることは、とても良いビジネストレーニングになるのではないでしょうか。

それを教えてくれたのが下記の書籍です。

「ビジネスマンのための新しい童話の読み方――人生の壁を破る35話」 上阪徹 著 飛鳥新社 (2016/3/17)

1.疑う力をつけるための7つの童話、
2.思考力をつけるための7つの童話、
3.習慣を変える7つの童話、
4.人間関係を変える7つの童話、
5.うまくいく人になる7つの童話。
この本ではこれらの切り口で合計、35個の童話をとりあげます。各童話定説に定まった読み方をするのではなく、目線を変えて読むことで、ビジネスに役に立つ結論(教訓)を導き出していきます。

「みにくいアヒルの子」という童話をご存じだと思います。

“お母さんアヒルがいました。お母さんアヒルの暖めていた最後の卵から生まれた雛は、大きくて灰色の他の雛とは違う見にくいアヒルの子でした。このアヒルは、アヒルの仲間に変だ、みっともない、かっこ悪いといじめられました。鶏からも七面鳥からもいじめられました。おまえは人と違うと。最後はお母さんアヒルにまでいじめられました。辛いので家出すると今度は鴨に取り囲まれ、犬に襲われ、猫に追い出され、苦労は続きました。あるとき白鳥にあい、アヒルの子は「なんて美しい鳥なんだろう。」そう思っていました。寒い冬を一人で過ごして、体がむずむずしたので水辺にいくと水に映った自分の姿をみて驚きました。そう、水面には美しい白鳥が映っていたのです。”

こんな童話です。この童話からどのような点を学んでビジネスに取り入れようとするでしょうか。

「辛い思いをして苦労をしていればいいことがある。」一般的なこの童話の教訓はこんなところかもしれません。それ以外にも何か視点を変えるとビジネスに役に立つ教訓が得られるかもしれません。

一例ですが、この童話は「人と違うというのは悪いことではない。自分の強みを正しく理解しどのようにいかしていくかが大切だ。」、という教訓だととられることができないでしょうか。

リベラルアーツのある人にはこのような発想が起きやすいと思うのです。

○美術(アート)は経営に必要か

正解がなんだかわからなくなっている時代に企業を正しく導くには、歴史を学び本質的な部分を見ぬくことや、着想を変えていくこと以外に方法はないのでしょうか。ここで美術(アート)や美的感覚について考えてみたいと思います。どちらもリベラルアーツを身につけることによって得られるものだと思います。美術と経営の関係を考えるにあたり、ちょっとグローバルなお話から入っていきたいと思います。

英国に、世界で唯一、修士号・博士号を授与できる美術系大学院大学であるロイヤルカレッジオブアート(以下「RCA」)があります。このRCAがここ数年間に拡大しているコースがあります。それは「グローバル企業の幹部トレーニグ」コース。自動車のフォード、クレジットカードのVISA、製薬会社のグラクソ・スミスクラインなど。名だたるグローバル企業が幹部候補生をこのコースに参加させています。

また、「ここ数年で美術館を訪れる人たちの顔ぶれが変わってきた」というアートに関わる人たちの声もあるようです。美術館のイメージは、過酷な国際競争を繰り広げ一円のコスト削減を惜しまないようなビジネスエリートのイメージとはほど遠いですが、ビジネスパーソンが増えてきているそうです。例えばニューヨークのメトロポリタン美術館や、ロンドンのテート・ギャラリーなど大型美術館で実施されている社会人向けのギャラリートークプログラムがあります。ギャラリートークとはキュレーターがギャラリーに同行し一緒にアートを鑑賞しながら作品についての意味、逸話など解説してくれるプログラムです。以前は旅行者などが中心だったこのプログラムにスーツを来たビジネスパーソンたちが増えてきたというのです。 ビジネスエリートたちは、どうやら「美術(アート)は経営に必要」と考えられているらしいことがわかります。それはなぜなのでしょうか?
その「なぜ」に答えてくれるのが、山口周氏の「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか? 経営における『アート』と『サイエンス』」です。

「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか? 経営における『アート』と『サイエンス』」 (2017/7/19) 山口 周 著

この本では分析的・論理的領域は「サイエンス」、直観的・感覚的領域は「アート」とされている。サイエンスによる課題解決アプローチ手法が普及したことにより、「正解のコモディティ化」が進んだ。誰もが同じ正解にたどり着いてしまう。その中でさらに差別化を進めるために必要なのはアート。

世界的な大企業では分析・論理というサイエンスを駆使した経営が実践され、「正解のコモディティ化」が進んでいるのかもしれません。本書で述べているように、論理的な領域の正解は、誰もが同じ答えにたどりつくコモディティ化したものになり、競争優位性や顧客に対する価値を生みにくくなっているのです。

今度は、グローバルからグッと身の回りに目線を引き寄せましょう。実際の中小企業経営の現場では、世界的な大企業に比べてまだまだ「正解のコモディティ化」は十分に進んではいないかと思います。しかし、大企業に比べて付加価値の高い生産やサービスの提供を目指さなければいけない中小企業にとって、美的感覚を身につけ正解のコモディティ化という問題に対応しなければならない意義は十分にあります。そして、私達、中小企業診断士も、分析・論理を実践し、中小企業を診ることで企業診断をおこなうだけでなくて、いずれおとずれる「正解のコモディティ化」に対応していかなくてはなりません。

また、ITの普及などにより世の中の変化に制度が追いつかない状況は既に発生しています。そこでは、分析・論理だけでなく直感・感性が必要です。その必要性を知っておくことは、中小企業診断士としての自分の差別化につながるのだと思います。

<診断士座談会>

○リベラルアーツや美的センスとは何だろうか。

廣瀬:今回紹介していただいたゲノムのお話は大変興味深かったです。ゲノムのDNAのお話もそうですが、知っているだけでは足りずに、もっと深掘りしなればリベラルアーツとはいいにくいですよね。

藤井:そうですね。結局リベラルアーツというのは、深掘りして考えていく姿勢のことをいっているのでしょうか。単に知識を大量に取得するだけではなくて、考え続けていく姿勢ということのような気がします。

廣瀬:さらに、考え続けるだけではまだ足りない気がします。それにもまして直感や美的感覚が大切になっていきていますね。

藤井:私は大学生の時から音楽が好きなのですが、今回もう1つ読んだ本に「音階」に関する本がありました。

廣瀬:それはどんな本でしょうか。

藤井:音階というのは不思議でよく考えてみると何で「ドレミファソラシド」という7つの音で一オクターブなのと思うと不思議ですよね。物理的には周波数が2倍になると1オクターブなのですが。なんで周波数が2倍になったときに同じ「音」と人間は感覚的に思うのかよくわからないんです。ただ、心理学ということで考えるとみんな人間はそう知覚するという結論がわかっているだけで。そんなことを考えさせてくれる本でした。

廣瀬:人間の中にある程度正確な物差しがあるということですかね。

藤井:そうなんでしょうね。論理と感性や美的感覚というものを考えるヒントがある気がしています。美しいと感じるものは、かなり数字化して論理の世界に落とし込めるのでしょう。でも、最終的に美しいと決めているのは人間の脳なんでしょうね。このセンスを磨くというのは診断士として無駄ではないように思うのです。

○リベラルアーツはどうやったら身につくのだろう。

藤井:リベラルアーツのある人になるには具体的にどうすればいいでしょうね?スマホを見る時間を減らして図書館に通いつめればいいのでしょうか。(笑)

廣瀬:それだけではないと思いますよ。まだ、他に方法はあると思います。例えば今日、金沢の診断士イベントには行かれましたか?残念ながら私は参加できませんでした。

藤井:私も参加できなかったんです。毎年、行っている日本全国の診断士が集まるイベントですよね、東京を離れて地方の診断士にふれ、また違う発想を得られるという点で楽しみにしているんです。そのイベントがどうかしましたか。

廣瀬:このようなイベントで、違う発想を得られる機会は大切ですよね。私はあるコミュニティ運営に参加しています。そこでは「羊肉好き」ということをタグに、診断士も含む多様な人と接点を持つことができ、視野や発想を広げることに役立っています。今後は発想の違う海外との接点など広げていくつもりです。

藤井:海外といえばですが、今日はエストニアの技術者の方と話す機会があったのです。情報セキュリティの考え方が日本とかなり違い大変勉強になりました。日本だと権限周りをしっかりさせて情報を隠す、守るという発想になるのですが、エストニアだと情報はオープンにして誰にも閲覧できるようにする。しかし、誰が閲覧したのかという記録はシッカリ残すという方針なようです。

廣瀬:エストニア?電子政府の進んでいる国でしたっけ?

藤井:そうです。エストニアは過去にロシア、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、ポーランドに支配された歴史があり、その歴史的な背景が情報セキュリティの考え方にも現れているようなんですよ。

廣瀬:それは知らなかったです。そういう事実の深掘りとビジネスの取り組みとの関係性って、リベラルアーツをビジネスに活かす具体例のような気がしますね。エストニアの方との打ち合わせはネット会議とかでしょうか?

藤井:直接会っていました。リアルに会うこと、会いに行くことということは大切ですね。今は技術の進展で地球が小さくなっており、直接会える環境が整ってきていますよね。

廣瀬:そうですね。これまで教養は活字で得るものというイメージもありましたが、それは活字という手段でしか情報が得られなかったり、会うことが難しかったりという制約があったからだと思います。

藤井:自ら動いて情報を得ること、それは質のいい情報をすばやく得ることにもつながるのではないでしょうか。そういう行動特性がリベラルアーツを高めることにもつながると思います。

廣瀬:書籍で読んで答えを得られるロジカルな正解というのはすぐにコモディティ化していってしまいます。

藤井:ロジカルな正解だけではなくて、数字で定義できるものと感性でしかわからないもの。数字で示せるものの先になにかありますよね。確度のよい直感のようなものでしょうか。積極的に美的センスを高める努力をすることでそこを求めていきたいです。

廣瀬:自分たちの若いときにはなかったようなものを積極的に学んで取り入れていく。学ぶ姿勢をずっと維持するのもリベラルアーツを高めるためには大切なことですね。

つづく